大野一雄年代記 1906−2010
大野一雄舞踏研究所編
有限会社かんた 2010年 A5判 160ページ 英文併記
販売価格:1,650円(税込)(本体価格:1,500円)
6月1日に天寿を全うした大野一雄を慕い、7月17日に開催された「ブラヴォー! 大野一雄の会」。それにあわせて出版された記念書籍が本書。
大野一雄の103歳と7ヶ月の生涯を詳細な年譜にまとめ、世界の出来事や公演チラシなどのデータ画像を挿入。ウィリアム・クラインや細江英公の写真など、カラー写真15点を含む48点の写真・図版と、角田光代、ブラジルのテアトル・マクナイマの演出家アントゥネス・フィーリョなどのテキスト7本も収録。
その踊りに懸けた一生を辿ることのできる一冊。
写真ページ Sample (PDF: p.48-49)
1959-1979 土方巽の「禁色」改訂版に「ディヴィーヌ」で登場。大きな転機を迎える。 60年代の土方作品に参加。舞踏が誕生する。「ラ・アルヘンチーナ頌」初演。 (画像左:p. 37)
1960年、新橋の路上で。大野一雄、土方巽、大野慶人。写真ウイリアム・クライン (画像右:p. 48-49)
年譜ページ Sample (PDF: p.59-63)
1980-1998 ナンシー国際演劇祭に招かれ、初めての海外公演。 世界が大野一雄を発見する。 (画像左:p. 59)
年譜1980年〜 (画像右:p. 60-61)
150ページより
大野慶人
私が生れてすぐ、大野一雄は戦地に行ってしまったので、はじめて会ったのが10歳のときでした。一緒に生活するようになって、だけどもしかし、私の中にはお父さんという人はいませんでした。13歳のときに「研究所に来い」って言われましたけれども、私はサッカーがしたくて断ったのです。母親が「慶人、行ってください」と、「お父さんは自分の踊りを研究して、それを伝えたくているから、行ってください」と言うので、私は行きました。7年間教えを受けました。その後、土方さんとの出会いがあって、私は舞踏の世界に入り、大野一雄と生涯一緒に過ごすことになりました。
私はいつも父のことを、「大野一雄」と言います。1981年に「わたしのお母さん」を作ったとき、土方さんと「慶人さん、あなたは“お父さん、お父さん”といわないから付き合えるんだ」「そうです。僕はいつも“大野一雄”というんです」、という会話をしたことがあります。
土方さんは、「慶人さん、大野一雄の舞踏をどうだと思ってるんだい」と聞くので、「モダーン・ダンスです」と言ったら、とても嬉しそうな顔で、「そうだよな」と言ってくださった。
大野一雄が亡くなって、はじめて私は「お父さん」と叫びました。
写真に向かって、はじめて「お父さん」と呼んだのです。
(大野一雄次男 舞踏家)
153ページより
編者後書き
小書は、大野一雄氏の生年1906年から本年まで103年の間、氏と世界に起きた出来事を時系列に記述している。参考となる写真と図版48点と小さなデータ画像80点を挿入し、他に書き下ろしを含むテキスト7本を掲載した。
ゆうに1世紀を生き抜いた大野一雄の生涯を、何かが生まれる時を起点にして、いくつかのブロックに分けている。誕生した1906年、アルヘンチーナに出会った1929年、戦地から生還した1946年、「禁色(改訂版)」に出た1959年、第1回海外公演の1980年、体力に衰えの見えた1999年、そして2010年である。
すでに多くの研究書や論文等で詳細な履歴が公開されているが、小書が一次資料に最も近く書かれた年譜として、多くの人に役立てられるよう願っている。
小書は、氏のご家族はもとより、長年大野一雄を撮り続けた写真家諸氏、世界各国の支援者、また研究生諸兄の惜しみない協力無しには実現することが出来なかった。ここに改めて心よりの御礼を申し上げたい。
2010年7月17日