2010年7月17日(土)、「ブラヴォー! 大野一雄の会」実行委員会の発意により、様々の皆様のご尽力のもと、横浜のBankART Studio NYKにて「ブラヴォー! 大野一雄の会」を開催に至りました。
会には700人余りの人が訪れ、祭壇に献花をささげ、細江英公氏による「胡蝶の夢」の写真絵巻や、追悼記事、大野一雄自身や大野一雄について語るインタビュー集などの映像を観覧していただきました。
会場の外では、海の風に吹かれながら、思い思いの場所で大野一雄の思い出を語る人々がゆったりと時間を過ごし、夕方に再び祭壇前に集って、「ブラヴォー!」と献杯しました。その後、大野一雄の長男である永谷幸人が、エルビス・プレスリーの「好きにならずにいられない」を歌い、次男の大野慶人が、大野一雄の指人形を手に踊りました。
ひとりひとりの中に大野一雄が遺していったものを想い、共有し、感謝をささげた会となりました。皆さまのご厚情に心より御礼申し上げます。
大野一雄先生へのお別れのことば
2010年6月1日、夕刻のことでした。大野慶人さんから電話をいただき、“今朝、大野一雄の容態が変化したので病院に入院し手当を施していましたが、午後4時38分、永眠しました。”との悲しい知らせがありました。享年103歳と7カ月でした。土方巽さんとともに舞踏という新しい芸術ジャンルを創設し、世界の第一人者として、そしてまた、芸術家の先頭を歩く旗手として大きな業績を残された大野一雄先生の死は、私たち、その後を歩いて行くものにとって、筆舌に尽くし難く、これほど深い悲しみは他にありません。
生前、大野一雄先生は、舞踏家として生涯現役を貫くとともに、実践で、私たちに芸術の真髄を示し、更に、どの人にも分け隔てなく諭して下さいました。そして、先生は、つねづね語っておられました。
私という人間の「存在」は、そして私という人間の「生」は、幾十万年、幾千万年前からのDNAによって永々と受け繋がれたものです。そして母の胎内でやさしく守られ、母の喜びや哀しみを受け継ぎ、母の愛を感じながら生れてきました。
また、人間は“魂”によって存在し、魂によって行動するものである。その数え切れないほどの恩恵や思考や、勉強や、経験の積み重ねによって現在の自己というものがある。舞踏は、その自己が如何に生きるかという主題をもとに、精神や思考、それによる葛藤の積み重ねの中から起こってくるイマジネーションを如何に身体の言語で表現するかにかかっている。
それが芸術であるか、ないかは、「魂のゆらぎ」、「魂の発熱」、「魂の訴え」、――が、必然を伴って表現されているか、それがまた、普遍にまで高めることができているかどうかにかかっている。即ち舞踏は、内部現実を身体で如何に表現するかである。それが、人間存在の「真実」に迫るということである。そうすることによって、究極には「愛」というものの本当の姿を表現することができるものと考えている。「命の誕生のような作品」をという想いは、私の生涯の念願である。身体を持たない幽霊さえも、身体によって表現しなければならないと思っている。………と、諭しておられます。
大野一雄先生は1980年以来、海外からの招聘による公演が活発になり、往く先々で絶賛を浴びたことは周知の通りであります。その年、フランスの第14回ナンシー国際演劇祭に招かれ、世界の舞踊界に大きな衝撃を与え、その後も、欧州、北米、南米、アジアの国々を巡り、そのことにより、その熱気が途絶えることがありませんでした。そうした交流の中で、海外の評論家の注目を集め、一種の「表現革命」と絶賛されるほどの高い評価を集めました。こうした高い評価の中で、興味深いテクストがありますので、その内の一つを簡略に紹介させていただきます。フランスの評論家、ドミニク・フレタールの言葉です。
大野一雄は名に負う人々の死霊を踊る。死者たちが実在し、物語の中から立ち現われることを願いながら。例えば、クロード・モネ、ジャン・ジュネの「花のノートルダム」の男娼ディヴィーヌ、1980年のナンシー・フェスティバル以来、フランスで、また世界中でその名を高からしめたアルヘンチーナ・アントニア・メルセなどである。それからもう一つ、“舞踏は超現実主義や、ボードレール、ロートレアモンの魂から影響を受けている。舞踏は観客を未知の世界に連れていく媒体なのだ。観客は舞踏家の肉体に導き入れられる。舞踏は心に触れる。そのあまりに病的な激しさは、とても耐えがたいほどだ。この情念のマグマの中で、大野一雄は次第に自らを、創造主のように愛を選びとる光の実在へと解き放つ。”――と評しています。
それから大野一雄さんを最期まで激励なさった日本の文学者の最高峰と称せられた埴谷雄高さんとの邂逅についても少しばかり紹介させていただきたいと思います。1995年の12月のことです。埴谷雄高さんは病床でご自分の創作「死霊」九章の最終執筆の最中だったのですが、大野一雄さんの来訪を快く受けてくださり、お話をして下さいました。この事は、“「死霊」九章の<虚体論>大宇宙の夢”という壮大な宇宙論を展開する文学者と身体と「胎内宇宙」を表現する舞踏家との歴史的な接触といっていいかと思います。そのあと、埴谷雄高さんの枕元で大野一雄さんが即興の舞踏を捧げられましたが、舞踏のあと、埴谷雄高さんが“大野さん、あなたは、舞台に立ったとき、何もないところから、さらなる何もないところへ、誰もやったことのない未来に向かって第一歩を踏み出しています”と話されたことがとても印象的でした。
大野先生、いま、宇宙のどの辺りで私たちを見ておられますのでしょうか、それとも、誰もやったことのない舞踏を夢みているのでしょうか、今日は、先生を慕い、尊敬し、そして、先生が歩いてこられた道を、探り、学ぼうとするもの達が集まっています。そして、先生が語った言葉、身体で示して下さった偉大な先生の詩魂に触れています。痺れるほど触れています。
大野一雄先生、これまで、私達をお導きくださいまして、本当にありがとうございました。どうぞ、これからは安らかにお休みください。そして、宇宙のどこかから、私達を見守ってください。
2010年7月19日
細江英公
大野慶人パフォーマンス後の挨拶
今日は、お暑い中を、またお忙しい中を、こうやって皆様方に大野一雄のために集っていただきまして、本当にありがとうございます。まったく天寿を全うしたといっていいほど、やり尽くして、そして、天国に向かったこと、本当に皆様方のお支えがあって、皆様方のご協力があって、こういう人生を送れたものと心から感謝申し上げます。
私も、これからは、土方巽、大野一雄の二人に出会えた幸せを胸に、しっかりとこれから明日をつくってですね、やっていきたいと決意しておりますので、どうか今後とも、私たちのために、舞踏のために、家族のために、ご支援ご協力をよろしくお願いいたします。本当に今日はありがとうございました。
実行委員会構成メンバー (順不同)
- 代表 細江英公
- 大野慶人
- 永谷幸人
- 若松美黄
- 笠井叡
- 岡本章
- 上杉満代
- 武内靖彦
- 大森政秀
- 堀越謙三
- 高井富子
- 中嶋夏
- 池上直哉
- Eiko&Koma
- 元藤がら
- 元藤べら
- 溝端俊夫
- Catherine Diverres
- Bernardo Montet
- 創舞会 金梅子
- 捜真学院
- 関東学院
- 朝日新聞社
- BankART1929
- テアトロ編集部
- 株式会社思潮社
- (社)現代舞踊協会
- 国際舞踏連絡協議会
- 愛知芸術文化センター
- 株式会社フィルムアート社
- 大野一雄舞踏研究所
- 有限会社かんた
- 慶應義塾大学アート・センター
- NPO法人アートネットワーク・ジャパン
- アソシアソン・コムニダーデ・ユバ
- 金森商船・函館金森ホール
- (公財)神奈川芸術文化財団
- (公財)横浜市芸術文化振興財団
- 財団法人函館市文化・スポーツ振興財団
- Servico Social do Comercio- SESC-SP(セスキ・サンパウロ)
- Archivio Kazuo Ohno - Dipartimento di Musica e Spettacolo - Universita di Bologna(ボローニャ大学)