1938 | 7月 | 15日、東京、目黒に生まれる。父一雄出征 |
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1939 | 母、兄、祖母と共に函館に疎開 | |
1940 | 母、兄、祖父母と共に千葉県勝浦に疎開 | |
1945 | 戦況の悪化により秋田県大館市釈迦内村へ疎開。釈迦内小学校に入学。終戦後勝浦に戻る | |
1946 | 一雄復員。横浜に転居 | |
1950 | 横浜市立二ツ谷小学校卒業。関東学院中学に入学。サッカー部に在籍 | |
1951 | 大野一雄の元でダンスの稽古を始める | |
1956 | 関東学院高校卒業。文化学院文学部入学 | |
1959 | 4月 | 大野一雄モダーンダンス公演「老人と海」に少年役で出演(第一生命ホール) |
5月 | 全日本芸術舞踊協会第6回新人舞踊公演で、土方巽の「禁色」に少年役で出演 | |
9月 | 650EXPERIENCEの会「9月5日6時の会・6人のアヴァンギャルド」で「禁色(改訂版)」に出演 | |
1960 | 7月 | 土方巽DANCE EXPERIENCEの会に出演。映画「へそと原爆」(脚本・監督 細江英公) に出演 |
10月 | 650EXPERIENCEの会「第2回6人のアバンギャルド」で「聖侯爵」に出演 | |
1961 | 3月 | 及川広信主宰、日本マイム・スタジオの初リサイタルに出演。及川廣信には、クラシックバレエ、 パントマイムを師事していた 新橋で土方巽・大野一雄とともにウィリアム・クラインによる写真撮影 |
9月 | 土方巽DANCE EXPERIENCEの会に出演 | |
1962 | ショーチーム「ダンシング・ゴーギー」に参加、土方巽らとナイトクラブで踊る | |
10月 | 瀬田悦子と結婚 | |
1963 | 11月 | 土方巽DANCE EXPERIENCEの会「あんま―愛慾を支える劇場の話」に出演 |
1965 | 11月 | 土方巽作・演出の暗黒舞踊派提携公演「バラ色ダンス - 渋澤さんの家の方へ」に出演 |
1966 | 3月 | アルトー館第一回公演で、大野一雄と「部屋」に出演(草月ホール) |
7月 | 土方巽作・演出、暗黒舞踏派解散公演「性愛恩懲学指南図絵 トマト」に出演 | |
1967 | 4月 | アルトー館第二回公演「ゲスラー・テル群論」に土方巽、大野一雄と出演 |
1969 | 11月 | 「大野慶人DANCE EXPERIENCEの会」独舞公演(新宿厚生年金小ホール) その後、舞台活動を中止。横浜でドラッグストアの経営を始め、大佛次郎夫人の秘書を務めるようになる |
1975 | 3月 | 北林谷栄作・演出「お尋ね者ホッツェンプロッツ」(西武劇場)の基調訓練を行う |
1977 | 11月 | 大野一雄「ラ・アルヘンチーナ頌」初演 のため音響と制作を行う |
1980 | 8月 | 大野一雄のカナダツアーに参加。以後海外公演に同道する |
1983 | 2-3月 | 大野一雄のイタリア・イスラエルツアーに同道。死海を訪れる |
1985 | 2月 | 舞踏フェスティバル’85大野一雄舞踏公演「死海」への共演でカムバックを果たす(銀座マリオン朝日ホール) リミニ、ケルン、ジュネーブ、ニューヨークで公演 |
1986 | 1月 | 土方巽逝去 アデレード、サンパウロ、ブエノスアイレス他アメリカ、ヨーロッパ各地を大野一雄と共に巡演 |
1987 | 6月 | シュツットガルト世界演劇祭に参加、「睡蓮」を演出、大野一雄と共演 |
1989 | 3月 | ローマ日本文化会館にて、美術家長澤秀俊、音楽家藤原和通とのコラボレーション公演 |
1990 | 5月 | クレモナ市の依頼で新作「花烏風月」を滞在制作、演出および大野一雄と共演 |
1993 | 4月 | 「御殿、空を飛ぶ」を演出、大野一雄他と共演(横浜赤レンガ倉庫3号上屋) |
1994 | 4月 | 大野一雄全作品上演計画第一回「睡蓮」を演出・共演(横浜テアトル・フォンテ) |
1995 | 3月 | ハル・ハートリー監督の映画「Flirt」のダンスシーンを振付け |
1997 | 6月 | 母チエ逝去(享年90歳) |
1998 | 8月 | 郡司正勝の遺稿を基に、ソロ作品「ドリアン・グレイの最後の肖像」を初演(シアターカイ) |
1999 | 9月 | 『大野一雄 魂の糧』(フィルムアート社)出版 |
2000 | 6月 | 「宇宙の花」を演出、大野一雄と共演(横浜テアトルフォンテ) |
2001 | 10月 | 東京国際舞台芸術フェスティバルに参加、大野一雄の最後のソロ公演「花」を演出(新宿パークタワーホール) |
2003 | 9月 | 日本ブラジル舞踏フェスティバルで笠井叡と「め」公演(サンパウロ、リベイロン・プレト) 野外公演「大野一雄・慶人養老天命反転地に舞う」 |
2004 | 3月 | 東京国際芸術祭参加作品、大野慶人・笠井叡DANCE EXPERIENCE 「め―38年目の春夜」 |
7月 | 大野一雄フェスティバル2004にて「大切な‘ひと’」(BankART1929/1929ホール) | |
2005 | 12月 | 大野一雄フェスティバル2005にてソロ公演「一心」(横浜テアトルフォンテ) |
2006 | 4月 | パリ日本文化会館にて韓国の舞踊家金梅子と共演、「春の花秋の月」 映画「ヨコハマメリー」に出演 |
2007 | 1月 | 「大野一雄百歳の年ガラ公演 百花繚乱」総合演出(神奈川県立青少年センターホール) |
3月 |
イタリアのボローニャで開催された「Cent'anni di Danza / Omaggio a Kazuo Ohno」にて 「雪月花」 |
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10月 | ニューヨーク、ジャパン・ソサエティ設立100周年記念事業、Kazuo Ohno 101にてソロ公演「空」 | |
2008 | 3月 | サンパウロで開催されたTokyogaquiの大野一雄展にて「空」公演 |
6月 | モントリオールでルーシー・グレゴワールと「Flower」上演 | |
12月 | インドネシア、ジョクジャカルタにて「空」公演 | |
2009 | 10月 | 大野一雄フェスティバル2009にて「禁色work in progress」に出演 |
2010 | 2月 | Antony and the Johnsonsと共演「ANTONY AND THE OHNOS―魂の糧」(草月ホール) |
6月 | 大野一雄逝去(享年103歳) | |
12月 |
大野一雄フェスティバル2010にて、ヴッパタール・タンツテアター・ピナ・バウシュのダンサー、 ジュリー・アン・スタンザックとエディ・マルティネスとのコラボレーション作品「たしかな朝」上演 |
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2011 | 5月 | シンガポール・アーツ・フェスティバルにて「空」上演 |
2012 | 8月 | Antony’s Meltdown Festivalに招待され、「ANTONY AND THE OHNOS」再演(ロンドン、 サウスバンクセンター) |
2013 | 3月 | ブラジルツアー。「時の風」公演とワークショップ |
10月 | 大野一雄フェスティバル2013にてソロ公演「花と鳥 - 未来の私への手紙」初演 | |
2014 | 3月 | ミュンヘン、ボローニャ、バルセロナ巡演、「花と鳥 - 未来の私への手紙」 |
2015 | 4月 | 慶應義塾大学日吉キャンパス新入生歓迎行事 大野慶人舞踏公演「花と鳥 - 内部と外部」 |
7月 | サンパウロで「Antony and the Ohnos」再演、弓場農場(ブラジル) 創立80周年記念で 公演とワークショップ DVDと冊子「花と鳥 舞踏という生き方」(有限会社かんた) 発刊 |
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11月 | ポーランドツアーにて「花と鳥 舞踏という生き方」(ワルシャワ・クラクフ・ポズナン) | |
2016 | 2月 | ダンス・アーカイブ・プロジェクト2016にてレクチャー・パフォーマンス「それはこのようなことだった」 |
7月 | 札幌国際舞踏フェスティバル2017プレ企画として大野慶人舞踏札幌4DAYS「花と鳥 舞踏という生き方」上演 北京、天津(中国)にて公演「花と鳥 舞踏という生き方」上演 |
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2017 | 3月 | LAMINARIE(イタリア・ボローニャ)にて集中ワークショップ 「緑のテーブル2017」を監修・出演(振付:岡登志子、神戸アートビレッジセンター) |
9月 | 中国ツアー(南京、上海、成都、北京)。「花と鳥 舞踏という生き方」上演とワークショップ 四方田犬彦著『大野慶人の肖像』出版(有限会社かんた刊) |
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12月 | Dance Archive Project in Tokyo にて、大野慶人ソロ「花と鳥」抄上演およびアノーニとの共演「たしかな心と眼」(東京・寺田倉庫) | |
2018 | 4月 | 「緑のテーブル2017」(愛知芸術劇場小ホール)に出演 |
9月 | 「緑のテーブル2017」(東京ドイツ文化センター)に出演 | |
2019 | 6月 | 「緑のテーブル2017」に出演(神戸) 舞踏アーカイヴプロジェクト「ALL ABOUT ZERO」に出演(東京・シアターX) |
7月 | 台北にてワークショップ | |
2020 | 1月 | 8日 18時6分永眠。享年81歳。 |